おおはらのブログ

ひとりごと

進路を決めること

 ―進路を決めるとはどういうことか、進路とはどのように決まるものなのだろうか。休学をした半年間、職業を選択する以前に、というより同時に進路の決め方そのものについて考えて悶々としていた。

  進路を決めるに当たり、大多数の人は自己分析で適正な職種を選び、企業研究を行い、スーツを着て面接をするいわゆる「就活」をする。しかし、僕は「就活」のあり方に対する嫌悪感(自分に対する甘え)から「就活」を避けてきた。「就活」によって人事はどれだけ自分のことを理解してくれるのだろうか。「就活」は会社に対する適正なのだろうが、必要/不要な人を選別している感じがどうも嫌だった。というか、そもそも「就活」で評価される「コミュニケーション能力」などが嫌だった。他にも様々な理由から「就活」をしてこなかった。

 「就活」をする代わりにというのもなんだが、この半年は進路を考えるにあたり、これまで自分がどのような社会でどのように育ってきたのか、大学4年間で何を学んできたのかをずっと振り返っていた。きっとその人が大事にしている、大事にしてきたいものって、これまでの人生があったからこそ大事になっているのだろう。

 これまでのことを振り返っていたのは、自分が何を大事にしていて、これから何を大事にしていきたいのかを明らかにする作業だったように思う。そして、進路というのは、その人が社会で何を大事にして生きていきたいかによって決められるものだろう。 

 そう考えると、僕にとって進路はすでに決まっていた。これは決してスピリチュアル的な意味ではなく、進路はこれまでの積み重ねによって規定されるという意味で、すでに決まっていたということである。しかし、その選択になかなか踏ん切りがつかなかった。逆説的だが、踏ん切りがつかないような職業だからこそ、その道に進まなければいけない気もしている。

 そんな中、その道でがんばっている人、一緒に可能性を模索して背中を押してくれる人と出会うことで、少しずつ可能性が開けてきたし、そのおかげで少しだけ踏ん切りがつきそうである(あくまで少しだけ)。

 進路について相談にのっていただくたびに、自分も誰かのことを応援できる大人になりたいと思う今日この頃です。さて、そろそろ再再再履の東洋史の授業に行こうかなぁ。